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ローマ帝国はなぜ滅んだのでしょうか?ローマの繫栄と滅亡について

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すばらし文明を築き上げた、ローマ帝国はなぜ滅んだのはなぜでしょうか?

ローマをたたえる言葉として、「すべての道はローマへ通ず」あるいは「ローマは1日にしてならず」という言葉をよく 耳にされたことはあるでしょう。

21世紀の今日になっても、古代ローマの栄華をたたえる言葉として生きています。

古代ローマ人たちは、建築、法律といった実用的な学問にも優れていて、多くの文化的遺産 を遺(のこ)しています。

古代ローマの人たちが作った道路をすべてつなげると、なんと地球を2周する長さになるそうです。

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ローマには有名な遺跡がたくさんある

ローマにはパンテオン神殿やコロッセウム、カラカラ浴場といった有名な遺跡がほとんど 見事に残っています。

また、それだけではなく、イギリス、フランス、スペイン、ドイツといったヨーロッパ各地から、 南はアフリカ、西は中東にいたるまでのあらゆる地域にわたって、今でも古代ローマの遺跡を たくさん見ることができます。

これらの遺跡を見れば、ローマがどれほどの権勢を誇っていたのか容易に想像することが 出来ますね。

ローマが建国されたのは?

ローマは、伝説によれば紀元前8世紀に建国されたそうです。

ところが、最初のころはイタリア・ラティウム地方の小さな村だったのです。

しかし、他の民族と同盟を結んだり、武力で制服していき、イタリア半島全域を支配下におさめ、 さらに西へ東へと領地を拡大していったのです。

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ローマの繁栄

その間、共和政から、度重なる戦争、領地拡大にともなう内乱の時代を経て、紀元前27年(西暦14年)にアウグストゥス が初代ローマ皇帝となり、ローマは繁栄の時代を迎えるのです。

ローマ帝国は西暦117年、トラヤヌス帝のときに領土が最大となります。

ローマ帝国の滅亡

国内で、キリスト教徒の増加に伴う宗教的対立や暴君による腐敗政治などがあり、歴代皇帝は 分割統治や宗教会議を開くなど、あの手この手で国を改革する試みが繰り返し行われます。

また国外からは常に異民族の侵入に脅かされ、帝国は徐々に衰退をしていきます。

そんな中、375年中央アジアで勢力をつけたフン族がヨーロッパまで攻め入り、それに圧迫される 形で「ゲルマン民族の大移動」が始まりました。

すでに弱体化していたローマ帝国は、ゲルマン人の侵入に耐え切れず、最後の皇帝テオドシウス1世が 死に際して帝国を2人の子供に分け与えたことにより、395年約千年の歴史に終止符を打ち東西に 分裂しました。

西ローマ帝国は476年にゲルマン民族の大移動の混乱で滅亡。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は以降千年以上にわたって続き、1453年に滅亡しましす。

まとめ

いくら優れた文明や栄華を築いても政治が腐敗すれば滅亡してしまうのです。

それはどの時代でも同じことがいえると思います。

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