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ペリーが黒船で日本にきた目的は?

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1853(嘉永6)年7月8日、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊司令官マシュー・ペリーが4艘(そう)の黒船を率いて、現在の神奈川県横須賀市浦賀沖に やってきました。

そして、ペリーは鎖国体制(さこくたいせい)をとっていた幕府に対して開国を要求します。

開国をせまられたのは、これがはじめてではありませんでした。

以前にもアメリカやオランダの船が来て開国をせまられています。

しかし幕府は開国には応じませんでした。

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ペリーは日本に対して強硬な姿勢にでる

ペリーは前任者の失敗から日本のことをよく研究したのです。

そして、日本に対しては強硬な姿勢にでたほういいと判断する。

そこで黒船を羽田沖に進めて大砲を打ち鳴らすなど軍事力を誇示する。

やっと幕府に日米和親条約を 結ばせることの成功したのです。

黒船来航は市中の人をパニックに陥れる

 黒船来航で市中の人はパニックに陥ります。

「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん)たった四はいで夜もねむれず」という狂歌 (上喜撰とは、当時の高級なお茶のこと。これを飲むと夜眠れなくなったことから、上喜撰と蒸気船を かけている) に表れているように、江戸では家財道具をまとめて夜逃げするものが大勢出たり、武器の値段が 一夜で跳ね上がったといわれています。

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黒船とは?

ちなみに「黒船」とは、室町時代末期から江戸時代末期にかけて日本に来航した欧米諸国の船の総称です。

これは、日本の船は塗料を用いず白木の船だったのに対し、欧米の船は、防腐・防水のためにタールを 塗っていて黒かったために、そう呼ばれるようになったものです。

ペリーの来航の目的

ぺりーの来航には、大きな目的がありました。

当時アメリカでは綿工業がさかんでしたが、それには鯨(くじら)からとれる油が欠かせず、日本近海でも 捕鯨のための補給基地が必要になったのです。

また、西部開拓が進んで領土が太平洋岸に達したため、イギリスなど他の列強が未開拓だった太平洋航路を いち早く開拓したいという事情もありました。

ペリーによって強制的に開拓させられた日本は、以降、国論が開国派と攘夷「(じょうい)外国人排除」派に分裂して政治が 混乱し、ついにその15年後、260年続いた江戸幕府はその歴史にピリオドを打つことになったのです。

まとめ

現在と違って、はじめて黒船を見た人は怖かったでしょうね。

ペリー来航により江戸幕府が歴史にピリオドを打つことになったんですね。

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