もりもりです。
透明人間。
まるで映画の世界ですが、科学的に透明人間になることは可能なのでしょうか?
透明とは、目の前にある物体を光がすりぬけ、物体の向こう側が見える状態のことです。
つまり目の前の物体をすり抜けて、向こう側が見えるということなのです。
私たちが、物を見れるのは、光が物に当たって反射するからです。
光がすりぬけ、光が反射をしない、これが透明の原理です。
・透明人間は可能なのか?
・なぜ、ガラスは透明なの?
についてお話ししますね。
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透明人間は可能なのか?
答えを先にいうと、透明人間になるのは不可能です。
私たちの体には『水晶体』*1という透明な部分はありますが、残念ながら「透明」であることと「見えない」はぜんぜん違うのです。
「透明=見えない」ではないのですね。
例えば、『水とガラス』ですが、たしかに透明ではあります。
しかし、そこに水やガラスがあるのはわかってしまう。
透明ではあるが、見えるということです。
仮にです。
あなたの体が、水晶体のような細胞になって、〝透明〟になったとしましょう。
でも、見る場所によって、ほかの人からはあなたのことは見える。
そして、体全体の細胞を光や放射線などが通りぬけるというこは、網膜も光が通りぬけるということです。
光を認識できないので、視覚がありません。
つまり、体が透明になっても、物を見ることができないのです。
物が見えないのでは、何のために透明人間になったかわからないですよね。
なぜ、ガラスは透明なの?
ガラスは、原料である『珪砂(けいさ)』*2の粒子がとけたことで、粒子と粒子のさかい目である、境界というものがなくなります。
物が透明であるというのは光が吸収されたり、物にあたって反射したり、散乱したりしないで、まっすぐに通り抜けるということです。
鉄は、とけてもかたまるときに、結晶になるうえ、鉄そのものに光を吸収する性質があるので透明にはなりません。
ようするに、ガラスが透明なのは、ガラスのかたまりのなかに、粒子と粒子のさかい目がなくて、さかい目にあたって光が拡散しないからなのですね。
ガラスはひとつづきで、さかい目がないということです。
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最後に
たとえ、科学が発達して体を透明にできても、物を見ることができなければ何の意味もないように思えます。
最後まで読んでくれてありがとうございます。